anehako’s diary

ノート代わりの下手な駄文を書き連ねています。書き替えも頻りで、

ボイラー

ボイラーメンテ

 ボイラーはその鋼鉄の図体が、ある規模になると年に一回、性能検査といって、必ず国の法定の技術検査を受けることになっている。その為には、前もって傷んだ部品の交換や、本体の清掃を済ませておいて、大概は、国に委託されたボイラー協会から派遣される検査官をうやうやしく待つことになる。検査に合格すれば、そのまま次の一年間も運転の許可が下り、何事もなく操業は続けられ、日々の会社生活も淡々と過ぎ去っていく。もしそうでなければ、私にはまだ経験がないのだが、やはりとてもやっかいなことになるに違いない。だからボイラーマンにとってこの性能検査は毎年くり返しやってくる、高揚する秋祭りのようでもあり、ときには怖い鬼門として私達の前に立ちはだかった。もっともその秋祭りの収穫を無事に刈取った後は、本格的な冬が訪れ、ボイラーマンにとっては忙しい季節がまさにやって来ることになる。

 日の出が随分と待ち遠しい時間に起き出して、ボイラーの焚き上げは、まだ深夜のうちから始めると言っても過言じゃない。ビルや商業施設、あるいは住居の人間が目を覚まし活動を始めるときまでには、熱い蒸気の送汽状態をすっかり完了していなければならないのだ。例えば、大型施設の厨房が朝5時に始まるとしたら、少なくともそれより数時間前に、ボイラーを起動させておかなければ、我々の仕事は間に合わない。地表に膨れる霜柱をさくさくと踏みしめて、仄暗い外周を巡回しながら、蒸気配管の中を激しく音を立てて流れ始めるウォーターハンマーと闘い、途中、各所の水抜き用のドレンバルブから勢いよく吹き出す、幾らか湿り気の残った蒸気に、朝の光がようやく当たって、きらきらと目を射抜くように輝く頃には、ボイラーマンの仕事も安堵とともにどうにか一段落をする。

 検査の為に取り外された付属品は、腑分けされた死体のようにも見えた。細かく解体されて、シートを敷いた冷たい床の上で翌週の検査を待っている。そこには私達が磨きに磨いたボルトやナットの頭部が、洗い清められた骨片のように、所々で仄白く光って見えた。炉筒の両側に、上から垂れている青い養生シートの先端が、時々、ボイラー室の入り口から吹き込む風に応えて微かに揺れている。機械は平常のその律儀な統一の意思をもぎ取られてしまったようだ。それらはただの金属片の本性を丸出しにして、そこに無気力に横たわっているだけのようにも見えていた。

 胴に張り付く急勾配のタラップが尽きたところで、本体上部の狭く平らな空間に乗り上がると、潜水艦のハッチのような侵入口が見えてきた。それは大人の胴回りほどの小さく頼りないものであった。私は促されてその窮屈な隙間に、腰を小刻みに振りながら、やっとのことで内部に滑り込むことができた。足下の千鳥配列に重なる煙管群は、私の体重で柔らかい絨毯のようにたわんではおぼつかない。奥に行くほどそのたわみは角度を増し、深まる闇の中で私はまるで宙を歩くようだった。

 こうして腹這いになりながらボイラーの内部に閉じ込められると、天井までは狭いところで約40センチ、広さは3畳ほどの煙管ボイラーの鋼鉄製の釜の中で、今日も、ありえないほどの別世界に閉塞されて、私は息をつくのもやっとだった。いつもの日常性から突然引き離され、時間感覚さえ失った私は、盲人のように手さぐりでこの未知の広がりに手足をばたつかせたが、私とこの異空間との境目さえも触れることはできないような気がした。そして突然むき出しにされた私自身の依りどころのなさに、招かざる闖入者のような哀しさで、身を固くしてじっとしているしかなかった。

 ここには普段、高温高圧の沸水が激しく煮え立つ場所であり、直下には穏やかな彎曲を背にして、円筒形の炉筒が横たわっている。炉筒の中心はバーナーの青白い長炎が真一文字に後方の鏡板に飛んでいき、そのあたりで高温ガスとなって、再び前方へ向かう煙管群に吸い込まれていく。こうしてガスのあたる水室や煙管の伝熱面積が大きくなればなるほどボイラーの能力は高くなった。高温の圧水蒸気は驚くほどのエネルギーを隠し持ち、もしも誤って大気に解放されたなら、その膨張の力は悪魔の破壊力をもつに至るという。物質の相転換にはエネルギーの授受が必ずともなうものだ。宇宙の開闢とて空間の過冷却が相転換して、その空間自体の莫大なエネルギーを放出することによりビッグバンが始まった。

 ボイラー内部で繰り返される蒸発により、水中の不純物が次第に濃縮されていく運命だけは避けられない。飽和限度に耐えられず析出された不純物は、温泉の湯口に成長する結晶のように、金属板の伝熱面に沈殿、固着されていく。これがいわゆるスケールやスラッジと名前のついた我々の一番の敵であった。そのままにしておくと金属腐食は速やかに進み、熱伝導率を著しく低下させて大きな熱損失を導くことになった。別名、釜泥と呼ばれ忌み嫌われているものである。それは家庭でも長年使っているやかんの内側に、灰白色にこびり付く、あのごわごわとした固まりとよく似ているものだった。

 我々は定期的に薬品を用いて化学的(ソーダ煮)に、あるいはワイヤブラシなどの機械的作業でそれらを取り除いてやる必要があった。大抵の現場では、ボイラー整備士の資格をもった専門業者がやって来て、年に一度の分解整備を行うことになっていた。だが私の居た米軍のボイラープラントでは、幸か不幸か運転はもちろん、何から何まで自分たちの手で機械の面倒を見なければならなかった。ボルトやナットは一つ一つ取り外して、紙ヤスリやグラインダーで、嫌になるまで磨き上げなくてはならなかった。

 私は今でも記憶の中の感動が蘇ってくる。錆びついた鉄板はそのまま根気よく磨き続けると、しっとりとした濡れ羽色の、しかも女性の黒髪がまるで息をしているような肌合いになってきたものだ。それはまるで鉄(かな)床の底から、深い青みを帯びた金属の呼吸を直に感じているような思いだった。こんな中に、手の込んだ神の遊びを垣間見て、しかも学ぶことの尽きない職人の世界を発見した。

作業途中、一息ついてやっと後ろを振り返ると、同じ歳の相棒はまだ黙々と作業を続けていた。釜の中は暗く、グラインダーの金属を磨く音で私達の声はまるで通らなかった。時々、彼のもつグラインダーの回転する金属タワシの、ちぎれた針のような破片が鋭く飛んできて、前で作業をしている私の背中や尻をぷつぷつと突き刺した。その都度、微細で軽やかな痛点が、私の皮膚に小波のように広がっていった。釜の中の吊り下げられた作業用ランプは薄暗いので、彼が何を考えているのかわからなかったが、グラインダーから朦々と煙る粉塵に、ゴーグルの中の彼の両目だけがぎらぎらと光って見えた。

 狭い中、私は長時間無理な姿勢をしいられ、息の詰まるような閉ざされた空間で、上下左右の感覚が無くなりそうになっていた。釜の外の空気が上部の沸水防止管の小さな穴を通して、冷たい糸水のように流れ出てくる。時々、私はそれに顔を近づけては、酸素吸入をするかのように口をすぼめて吸い入れた。もともとこんな所は、人間などがけして入る場所ではないのだ。上を向いて作業をしている私の背中にごつごつとあたっている炉筒から、もしそのまま滑り落ちれば、釜の側面に口を開けている隙間の、ボイラー本体の底にある奈落に落ちてしまったことだろう。

 四方の鋼鉄の壁はいつでも無慈悲に沈黙していた。それは私が目をつぶってもけして外の世界を見させてはくれないほどの遮断の力を持っていた。そしてどこまでもこの小さな闖入者を抑えつけようとして冷たく不機嫌でもあった。すぐ間近に迫った鋼鉄の赤錆びた壁面が、閉じた目の中にまで広がっている。まぶたの内に赤錆の模様が毛細管を流れる血のように貼り付いていた。私は息苦しさにあえぎ、時々不意に襲ってくる閉所の恐怖に身震いをしながらも、そこに隠れて見えない空間自体がもつ秘密を探ろうとした。それでも手にずしりと重い高速に回転するグラインダーを握りしめて、スパイラルに溝を刻まれた煙管をそのまま磨き続けることよりほかに、私は為すすべを知らなかった。