anehako’s diary

ノート代わりの下手な駄文を書き連ねています。書き替えも頻りで、

大吟醸

死んだ父の納骨が終わって、一連の葬祭行事にもようやく一区切りがついた。先週は東京~札幌~大阪と骨箱を抱えながら、日本列島を縦に長距離移動したことになる。父も納まるところに納まって安心したことだろう。先祖のいる遠い幽所の深みから流れでる因果の束の一筋と溶けあい、同化して、うつし世の私たちの成り立ちでもあるところの発現力そのものに帰っていった。

 私にとって父が先祖のもとに帰っていったというイメージはそう悪いものじゃない。父が一人で病気で悩むよりは、あの世で死んだ友人や親類と心置きなく酒でも飲んでいると思えば、こちらもなんだか重荷がとれて、ふっふっと楽しくさえなってくる。父のいるであろう彼岸ではすべては吹っ切れているのだ。

 そういえば、遺骨を飛行機で運ぶ時に、はたして航空会社はどのような対応をするのか、私には興味があった。それは荷物扱いとなるのか、手荷物扱いなら搭乗口を通る時、X線の中をうまくその骨箱が通過するのだろうか?ひょっとして、X線検査が失敗しら、骨壷の蓋を開けて、中身御用あらために至るのだろうか・・? そうした馬鹿な想像が次々と浮かんでは消えて行ったが、結局、航空会社が私の脇の座席を無料で提供してくれた。おかげで、座席の上に父の入った骨箱をちょこんと置いて(ちなみにシートベルトも着用したのだ)、なんの心配もなく快適な旅ができたのだった。

 さらに驚いたことに、搭乗口でのX線検査は省略された(これでテロ対策は大丈夫?) 。日本では遺骨を持てば飛行機の中でなんでもできそうである。焼け残ったひと握りのカルシユウムの粉には、絶大なる威力があることがよくわかった。しかし骨は骨にすぎず、大地に還すべきものだろう。

 機上で疲れからうとうとしていたら、スチュワーデスに声をかけられた。「お寒くありませんか?毛布をお掛けしましょうか?」すると、私を通り越して、隣の父の骨箱にその毛布を掛けようとしている。寒いと心配した相手は私ではなかったのだ。「いやいや、結構です。ありがとうございます」、私は唖然として声を出すのもやっとだった。ここまで来るとただの過剰サービスとはいえなくなる。日本文化のいびつさの一端だろう。

 インドではガンジス川の河岸で荼毘にふされた遺体は、貧富の差に係わらず焼殻となってそのまま川に流されるという。そうなると遺骨信仰は普遍的なものではないのだ。機上から見える小窓の下には、光を浴びた雲海がどこまでも広がっていた。死んだ父はこの私のいるまだ遥か上空にいるのだろうか。あの時、父が一杯やりたがっているので、日本酒の大吟醸はある?と、慈愛に満ち溢れたスッチーに、なぜ私は聞かなかったのだろうかと悔やまれる。実にもったいないことをしたものだと、今さらながら思う。