anehako’s diary

ノート代わりの下手な駄文を書き連ねています。書き替えも頻りで、

米軍基地 人物点描(6)

 Eは職場の最古参であった。古狸と言ってもいい。齢七十才、浅黒く精悍な表情は、まるで日に焼けた炭焼き小屋の親爺のようだった。この年で退職の予定だったが、本人には納得がいかないようだった。ぶつぶつと首になることの不満を、私たちに言い続けていた。

 未だ壮年のように、いつも作業着代わりに着るTシャツの下は筋肉が隆々としていた。その衰えない背筋と胸筋が、四十年もの間、彼の生活を支えてきかたと思うと、ますます立派なものに見えてきた。それは飾りものなどではないのだ。噂では腕立て伏せを100回、毎日の鍛錬を欠かさなかったらしい。

 ボイラーのメンテ作業では、太い配管同士をフランジという継手で接合したり、重いポンプや抱えるほどの開閉バルブを持ち上げる。そしてボルトやナットを金属に締め付けるのにはずいぶんと力がいる。見ていると、彼はそんな事をいとも簡単に一人でやってのけた。トルクレンチやスパナをもつ二の腕は太くて逞しかった。若者がフィットネスクラブで無理やりつけた飾りものとはわけが違った。世の中には同じ世代の、すでに杖をついて歩いている者もいるというのに、それは驚くべきことだった。
 
 責任者としての役目は降りたが、彼がこの職場の生き字引であることにはいささかも変わりがなかった。ベトナム戦争で殺気立ったこの米軍基地の歴史とともに彼は生きてきた。石炭炊きのボイラーから油だきの現在まで、彼の蓄積された経験はこの職場でも別格であった。米軍さえもその彼に一目置いていた。

 仕事では小さなことにこだわらなかった。質のよい蒸気を、それは湿り気のない過熱蒸気を、よく整備された彼の子供たちのようなボイラーで現場に送汽する、これができればあとのことはどうでもいいようにさえ見えた。何より私のどんな疑問にも嫌な顔一つせず、素人の私に易しく、しかも分かりやすく答えてくれた。私にとって職人がたきの尊敬に値するボイラーマンであった。

 ボイラーに関して他人に隠すものなど彼には何もなかった。もったいぶることなどもちろん皆無だった。だから伝えられないものとは、彼の経験の積み重ねと、そこから生身のからだに染み込んでいた、長年に構築された感覚の秩序だけであって、それは言葉の世界を遥かに超えた、以心伝心でしか伝わらないものだったのだろう。当時、米軍がベトナムで何をしていたかは、この島国の国民の大多数と同じく、彼には関心のない遠い世界の出来事だったに違いない。

 一年に一回の、大音響で蒸気が噴出す安全弁の性能検査の時、自分で調整していた吹き出し圧力を確かめるため、彼は蒸気の怒号するボイラーのすぐ傍で、腕組みをしたまま微動だにせず、その様子を見守っていた。私たちは危険だからと、離れた出入り口のすぐ傍から覗いていた。建屋の軒下から配管で吹き出した蒸気の煙幕は屋根を覆い、三階建のプラントをすっぽりと外から包んだ。まさに仁王立ちの尊敬されるべき職人であった。
 
 ただ何ごとも玉には疵(きず)がある。退職が近づくにつれ、私の尊敬を裏切るようなことが多くなった。私は哀しい目で彼を見るようになっていった。しょうがないことではあったが、過去を賛美したがるその隠しようもない自愛が鼻に突いてきたのだった。それは歳のせいでもあったのだろう。だが私の彼に対する尊敬は大きかったので、そんなものを彼の中には見たくなかった。

 私の勝手で彼を断罪することの愚かしさは充分に分かっていた。しかし、過度の矜持が強い自愛に変わり、せっかくの本物の職人としての私の尊敬と期待を裏切らされたような思いだった。ボイラー業界も時代とともに斜陽化していくこの御時勢、やり場のなくなっていった己の技量のはけ口を、過去の輝かしい思い出の中に容赦なく吐き出しているようにも見えた。

 自分という人間はこんなにも苦労してきのだと、何気ない言葉の端々に、その隠しもっているのが見え隠れした。彼の話を聞けば聞くほど、私の胸に悲しみが生まれるのを抑えがたくなっていった。それは彼の中で、厄介だった様々な過去の苦々しさを、他人というフィルターを通して、自己肯定の花束に変えようともがいているようにも私には見えた。

 しかし考えてみれば、私の尊敬が大きかっただけに、それがだれにでもあることをして、彼を罪人に仕立ててしまっただけだったのかもしれない。おそらく同じ職場に長くいた弊害もあったのだろう。もし外の違う職場を知らなければ、己の在りようを相対化させることがなかなかむずかしいものだ。この基地のボイラーの歴史にはいつも中心としての彼がいたのだった。基地の歴史はおそらくそのまま彼の歴史だったが、それはあくまで、このぐるりと囲んだ有刺鉄線の内側での特殊な世界の出来事であっただろう。

 だが外の世界はあまりに広い。彼と同じく実は苦労も厭わず、まじめに黙々と仕事をやってきた労働者はそう珍しいことではないのだ。巷には、小さな満足の下でも、見返りをそれほど望まず自分の仕事に誇りをもった謙虚な人間が、職種に拘わらず驚くほどいるものなのだ。だから彼だけでなく、やはり真の自己肯定に至る道とは、他人の介在や助けを必要とするものではないような気がしてしょうがなかった。