anehako’s diary

ノート代わりの下手な駄文を書き連ねています。書き替えも頻りで、

米軍基地、人物点描 (1)

米軍基地、人物点描 (1) 改

ひょっとして、あらゆる実体は幻だとしても、人の縁はしぶとくその後の私自身をも規定する。しかも深い皺を記憶の中に残していく。そう考えるとこの世の中、私たちという個々の実体よりも、その間を途絶えることなく生成消滅を繰り返す関係性こそが、実はすべてなのかもしれないと、思える事がある。

 今になって振り返れば、Hは私をこの設備業の世界に誘ってくれた大恩人だった。そして私と同じ故郷を持つ先輩でもあった。彼の中を流れている血は、私の生まれ育った北国の、明治開拓民の祖先の流れる血と同じものであり、そうした環境からまっすぐに育てられたものであって、あの荒涼とした北海道の大地に、目も開けていられないほど真っ白に吹雪く原野の地をうつむきながら歩き、あるいは暗く低い雪雲の下のつららのように自然と大地に滴り落ちたものであった。

 同じ故郷の者同士じゃなければわからないものがあり、隠していても身から匂いたつものが必ずある。それは例えば札幌の中心街でさえも、長い冬がやっと終わった春先の、まだ舗装もされていなかった砂利道に、濛々と砂ぼこりが立ち込めていたその昔、風雪のすさびた世界は日常のことであり、生の自然に向き合う、その覚悟にも通じる開拓民の子孫の心象であろうか、吹雪や砂埃の中にじっと身をすくめて耐えている私たちの姿でもあった。

 その記憶はどこに居ようと、死ぬまでそこに根を張って生きるしかないような心の場所であり、私からもおそらく一生取り払うことのできない、懐かしい絆を感じるものであった。そうした原風景はまた彼の性格を形作ったものであるはずだ。

 たとえばこんな言葉が思いつく。楽天に包まれた率直性。自分に向けられた他人の攻撃や批判にはだれでもが自分の心に率直になれる。しかし、そうではない多くの日常性に対して、自分の基準を全面に押し出してフランクになることは、とても勇気のいる、しかも難しいことであった。

 人生に対するいつも前向きな姿勢、自分の中からの促しに従って躊躇なく行動する衝動、たとえ他人から身勝手と言われようが、はちゃめちゃと指をさされようが、そんなことには一向にお構えなしに、自分の心のままに行動する、私の目にHは、そんな驚嘆する人物に見えていた。北海道の方言では、「はんかくさいでないの」がよく当てはまった。

 これは上京してこちらの風俗習慣、人とのややこしい日本人の付き合い方に慣れてしまった私には勇気のいることであった。そうだよな、本来、人とはそうあるべきなんだよなと、彼の行動を見ながら、忘れていた大事なものを再び思い出すように思えた。

 そしてそのたびに、私の不甲斐のなさと本来の消極性、常に日常の人の目をうかがう精神の構えのようなものを、強く彼から批難されているような気持ちになった。あるいは、一歩下がったところでいつもあらゆる対象を斜め上に見る私の偽善性を指摘されているようにも思えた。

 私の浅く気安い他人への慮りが、実は自己の消極性の隠れ蓑になっている可能性を突きつけられたような気もした。深い促しのない他人への慮りなど、世間のマニュアルに従った自己満足にすぎないだろうと思えた。事実、そこでは事は動かず自らが思い込んだ同一点を中心に動いているだけなのである。事の動きだすような積極性は神も好む、しかし、その善悪はあくまで人間が決めることでもあるというではないか。

 いや、もしかしたら、私の目の届かないところで、彼は何事も計算づくめだったのかもしれないと思うこともあった。なぜなら、この世界に入る前は、彼は辣腕の営業マンだったのだ。そこで役に立たないと見るや、他人をさっぱりと見限る力は、あるいはきっぱりと見限られたとしても前進する覚悟は、厳しい環境で生きていかなければならなかった開拓民には、必須のアイテムだったに違いないと思うことがある。逆に、それだけ自力の促しが強いとも言える。そして私にもそうした同じ血が、たしかに流れているのを彼を見て感じていた。