anehako’s diary

ノート代わりの下手な駄文を書き連ねています。書き替えも頻りで、

内耳の戯れ

内耳の戯れ

 このところのメニエールの不安はなんだか懐かしいものだった。しかし、得体の知れない塊がまた身体をむずむずと突き抜けて行くようで、しばらくの間、手なづけていたつもりだったのが、残念ながらそうでもなかったらしい。そうは言っても私の精神が入っているこの肉の器が、時とともにいかれて行く事実は他人ごとではない。

 それでもこうして朽ちていく肉体や病の現実は断固としたもので、しかも人の日常の細部を変えるほど決定的ではあるが、同時に思う通りにならない禍事であり、精神にとっては実に馬鹿馬鹿しいことの一つではある。誰にとっても病気とはそうしたものであろう。

 この病気は明らかに身体・精神の過負荷に対する警告なのだが、それでも、世界が回転して目も開けられず、吐瀉物とともに救急車で病院に搬送されたときのことが思いだされる。本当に私の前で360度世界が旋回していた。恐々とした薄目の先に見えるものはすべてが片時も静止せず、渦を巻いて躍動していた。あの時の恐怖は今もなお私の根底で燻り続けている。

 今朝、久しぶりにあの嫌な予感と発症の恐れから薬を飲んだ。昨年の退院時に、予兆のあるときには飲むようにと医師から処方されていた苦い液体は、鞄の底の薬袋の中に潰れて他の錠剤と一緒にうち捨てられていた。私とはもう縁がないものと、かなり前から鞄の底を敢えて見ないようにしていた。

 痛みや苦痛にはなすすべもあろうが、私がこの世界にいるその前提までも崩すような、視界の回転崩落の恐怖は他に例えようがない。瞼を閉じていようとも、眼球に貼りついた車輪がぐらぐらと回り、どこにも逃げ場がないのである。世界はどこまでも底が抜けてしまい、しかも助けようのない不気味なものを開示する。私はうずくまりも後ずさりもできず、いっそのことこの私の視覚野が失われるのを望むほどの苦痛であった。そしておそらく、メニエールには寛解はあっても完治はないのである。

 普段は私たちの目に映る世界は平衡にあり、視覚は深夜の鉢植えの観葉植物のようにどこまでも受身で、安定したものであることに疑いはないが、ある時、その前提の枠組みがことごとく失われた私の驚きは大きかった。立っている大地の感触は薄れ、手を伸ばし脚を踏み出す空間感覚が崩壊した。その時、内耳の海は音もなく動揺し、裂けて遠くで波だっていた。それはそのまま回転運動の中で、私のすがりつくものがどこにもない恐怖でもあったのだ。空間も時間もすべてが脳の創り上げたスクリーンであった。

 それにしても際限もなく続き、すがりつくもののない内なる不安は、普段の日常生活だけにしてもらいたものだと切に願った。