anehako’s diary

ノート代わりの下手な駄文を書き連ねています。書き替えも頻りで、

米軍基地、人物点描 (2)

 最初から、Wは複雑な人間に私の目には映った。如才ないという言葉がよく似合う都会人で、陽気でしかも愛想がとてもよかった。彼が人の輪に入ると、矢継ぎ早に世情の話題を提供して周囲をほっとかない。だが、私の彼の最初の印象はだいぶ違っていた。あれこれと他人への気遣いと施しは欠かさないが、ひょっとしたら、彼は自分の都合で簡単に相手を裏切る人物じゃないかと、その湧き上がるイメージを私の脳裏から消すのに随分と時間がかかった。いや、真実は今もってわからない。

 基地内ですれ違う米軍兵士に、まるで昔の皇軍の敗残兵のように立ち止まって、私の前で彼らに深々と礼をしたかとおもうと、次の四つ辻では、正当にもアメちゃんには今も昔も日本はかなわないよと、私におどけて見せる。その変わり身の早さは、敗戦から亡霊のように生き抜いている人物たちの、戦後の日本の象徴にも見えた。しかし長い間、彼は工学部出身の真空ポンプのエリートエンジニアでもあった。
 
 もしかしたら、これは気に入った相手に対してだけ見せた好意としてのおどけだったのかもしれない。私が怪我で長く職場を休んだとき、職場でただ一人、励ましの電話を私の自宅にかけてきたのは彼だけだった。しかもそれは一回だけじゃなかったのだ。彼の中に、行動とは別に、実は人嫌いをそれまで直感していた私には驚きのことだった。そんな時、彼の奥に潜む嫌人の本性が、なにか突然の乱流で不安定になっていたのかもしれない。

 気さくに他人に接近し、誰彼となく挨拶代りに語りかける彼には目に見えない霧がかかっているようだった。自分のなかではとっくに解答がわかっている質問を、無闇に他人に投げかける社交性と、そんな話題に興味がなくなった時の、下手をすると反発を食いそうな切り換えの早さは、それでもどこかに一貫性があるように思えた。

 彼の居ない職場は火の消えたように寂しかった。私を見る目はなぜか優しい。それにもかかわらずこの人物は容易に他人を信じないであろうと、そんな漠然とした雰囲気を漂わせていた。そしていつも何か遠くの危険なわだちを反射的に避けるような、その彼の足踏みの焦点が定まらない印象が、私から最後まで抜けなかった。
 
 齢64才独身、大方、異様にテンションが高い。私の予想に反して、厳しいボイラメンテの仕事に入ってからもそれは一向に変わらなかった。私も含めて、普通の人間は仕事に疲れてふさぎがちになり、あるいは不満の虫にとりつかれるものだ。しかし、彼は内心の苦しさを他人に容易に見せるようなことはしなかった。

 彼にとって他人とは何であったのだろうか? 最初の頃、この広い基地の草生える敷地の中で、地図を片手に自転車にまたがり、車道の十字路で呆然とたたずむ彼の姿を目撃したことがあった。この基地に来て何年もいるはずなのに・・。その時、いつもとは違って、彼の姿が私には恐ろしく孤独に見えた。周りの景色とくっきりと断絶され、その剥き出しにされた、異様で暗い案山子のような彼のシルエットこそ、この人物の本来の姿なのかもしれないと思った。ある意味で彼は、近代的な病んだ精神の現われだと、その当時の私の思うところであった。