anehako’s diary

ノート代わりの下手な駄文を書き連ねています。書き替えも頻りで、

毛がに

 蟹を食べれば人をして沈黙させる。磯の香りを漂せる焼き蟹は、とくに夢のように美味いが、茹で蟹もそうそう負けたものでもない。そういえば、皆が口をつぐん黙々と、小さなテーブルを囲んで一心不乱に蟹を食べるということも、ずいぶんとご無沙汰してしまった。もう蟹は庶民の食べものではなくなってしまったのだ。

 しかし、海の底を這い回る、いわば、ごみさらいの蟹がどうしてあのように美味いのだろうか。生き身の刺身やしゃぶしゃぶでというが、やはり焼いて、あるいは茹でたものには敵わない。茹でた蟹の甲羅を開けて、ちょっと見た目にはグロテスクだが、その暗くこってりとした琥珀色のミソをすくって、そのまま蟹身と一緒に食べれば、満ち干きの潮の香りと、水底の官能が口の中へいっぱいに広がり、その淡白な滋味に思考も時間も止まってしまう。更にそこに辛口淡麗の日本酒でもあれば、もう何もいうことはない。

 小さな頃、私の住んでいた札幌の郊外にも、道東より行商の蟹売りが軽トラでやって来たものだった。国道の店先の幟がはたはたと靡く、砂ぼこりの立つ道を軽トラが家の前にまでやって来て、その場で生きた毛がにを茹でるのである。後部の荷台にあった大釜で沸騰する湯気が立ち昇っていた。茹でた毛がにはそのまま新聞紙に無造作に包んで客に渡すのである。記憶では辺りに雪もなく、道は埃っぽかったから春だったのだろうか、蟹はおそらく年ごとに季節の顔をしてやって来た。

 その大釜で茹でた蟹は塩加減が微妙で海の幸そのまま、驚くほど安くて美味かった記憶がある。オホーツクの海でとれた毛がには、たらばとは違い繊細な味がした。あの当時、一度に5、6杯は買ったのじゃないかと思う。たしか、今の物価でいえば一杯がせいぜい5、6百円ぐらいか、三人家族だったから、ころころとはち切れそうに膨らんだ子もちの毛蟹で、子供ながらいつも腹一杯になった思い出が残っている。年に一、二度の御馳走だった。

 しかし、そんな毛がににも、乱獲による年々の漁獲量の激減と、ロシアからの密輸が途絶え、我々庶民の口からはますます遠くなったようだ。あの食卓を囲む家族の沈黙のひと時は、子供には豊穣な時間だったのである。大人になった私には、毛がにの美味を味わうことも、小さな頃のように、軽トラに運ばれてきた茹で蟹の湯気に季節を感じることもなくなってすでに久しい。