anehako’s diary

ノート代わりの下手な駄文を書き連ねています。書き替えも頻りで、

米軍基地、人物点描 (4)

 まるで彼の運転する幅広のタイヤは地面に吸いついているようだった。頭を上げることを禁じられて、匍匐前進を強いられている兵士のようでもあった。それでもMPたちの乗るジープにはそんなことはなかった。なぜならここは自由自在の彼らの庭であったのだ。私たちは今だに続く占領下の民族の現実を思い知らされていた。

 補給廠には最前線の武装車両はなかったが、時には修理中の装甲車やトラックが走ることもあった。日本の大地なのに、灯火管制を強いられているその上空からは、目に見えない大国の利害が、この一画だけを重く押し潰しているようだった。平たんな基地を取り囲む相模原の街は、すり鉢の底から眺める、ビルの連なる壁の向こうの別世界としてしか見えなかった。

 毎朝、ボイラープラントの裏にある駐車場に、一台の灰色のフェアレディZが音もなく入ってきて駐車した。エンジン音が途絶えると、サイドドアが勢いよく開いて、短髪に、浅黒く精悍な顔をした運転手が降りてきた。手入れの行き届いた口髭がよく似合った。そして眼光鋭く、ボイラーの煙突から立ち昇る白煙をしばらく眺めた。

 本人は、聞くところによると、劇画のゴルゴ13の真似をしているらしかった。確かに無表情な、あの冷酷非情で機械のようなスナイパーにどこか似ていた。あるいは戦国時代に出てくる侍軍師のようでもあった。もし日焼けしたその顔にサングラスでもかければ、誰も彼に近寄らなかったであろう。威厳のある男らしさの演出は十分に成功していた。

 「親切というお節介、そっと見守るやさしさ」このどこからかつまみ食いしてきたに違いない彼の口癖は、おそらくイタリアのスーツのように、彼にはよく似合いそうだった。そう、彼が私たちの米軍基地の日本人ボスだった。
 
 しかし、私は彼に微笑みながらも、そんな姿には騙されたことはなかった。彼のピアニストのような細長い指、後ろから見た女形のような柳腰、昼休みに庭で、膝を抱えるようにして煙草を吸うその孤独の姿、なによりも彼の繊細な優しさは、ときとして女性のように柔らかいものだった。いや女性以上にそれは壊れやすい性質だったのかもしれない。

 この人物から受けるそんな両極端の印象に、最初、私はいたく混乱した。どちらがほんとうの彼なのか。ときどき他人を組み伏せる抑えがたい欲求をはっきりと感じたかと思えば、その他人に、自分の言動がどう影響しているのか、つねに監視と怖れを抱いているような、そんなアンビバレントな印象をこの人物から受けたのである。
 
 もしかしたら彼は弟のような私が好きだったのかもしれない。そんなことを口に出すような人間ではもちろんなかったが、人手もなくこの職場を辞められては困るときに、次の責任者にと期待されていた私が、転職の事情を話しに彼のところに行くと、最後まで黙って私の話をじっと聞いていたが、「それはお前の為によいことだ、私も賛成である」とぽつりと答えてくれた。私はその仕事の帰り道、彼の言葉を思いだしては、不覚にも涙が止まらなかった。
 
 おそらく絶対的な内面の優しさとは、実は他者からは切り離された、その他者に超越して、その人間の自立したものから熟柿のように溢れ出る何ものかであり、それは一見、外部からは、他人に対しての無関心さに見えるような気がする。だが未だに、私はこの謎の多い人物を思いだし、興味が尽きないことに変わりはない。