anehako’s diary

ノート代わりの下手な駄文を書き連ねています。書き替えも頻りで、

酔言 21

酔言 21

とうとう実際に、汚染水?を海洋に流すとなると、こうしたことに関心の薄かった私の中でさえも、問題は深刻になる。この現状に何かをしなければと。しかし、政府の言い草を反駁するだけの知見と時間が私にはない。多くの国民もそうだろう。直感的にはかなりやばいことを、日本政府はいつものように、用意周到にやり始めたと感じる。近代国家では税金の使い方に長けた者が政治を握るのだ。

 しかし、判で押したように悪行を強調し、反対派のアドレナリンを上げて終わる情緒的反対をするだけでは埒があかないだろう。ではどうすべきか。あるいは科学的な安全性の根拠が有りさえすれば投棄が正当化されるのかの問題もある。原発の恩恵をたっぷり受けてきた我々一人一人が、実はこの投棄の結果に全責任が出てくるわけで、一方的な投棄側への非難も個人的にはどこか腑に落ちない。

 ここにきて無関心だった私のような者が、急にしたり顔して叫びだすのもどこかしっくりこない。さて、どうしたらいいか。ただ、もう関わらないという道はありえない。それは、おそらく汚染の深度は時間とともに増して、隠した真実が明らかになったときには、もう手をくれになってしまった時だろうという恐ろしさが私をつかまえて離さない。

 原発政策が変わらなければ、この政府の海洋投棄も継続するだろう。震災以後、原発稼働数が激減して、資源エネルギー庁データによると、2022年末で、日本の現在の電力量の8割は化石燃料を燃やしている火力発電に頼っている。その燃料の内訳はLNGが45.6%、石炭42%、石油3.8%だ。その中でも石炭が増加している。

 するとCO2排出量削減、2030年までの2013年基準とした46%削減、2050年のカーボンニュートラルの、パリ協定以降の日本の目標は難しくなる。故に、日本政府は原発を手離すことはできず、海洋投棄も含めて現行の原発推進政策は維持されると思われる。一時は電力供給の3割超を占めていた原発は、現在、供給割合が7.2%でしかもCO2は出さない。政府が進める、もしも地球温暖化阻止や脱炭素、エコロジーのための海洋汚染につながるなら、それは話にならないだろう。

 我々は何故に、票も入れたことのない政党が行う政策に、責任をもたなければならないのか? 我々は何故に、戦争の当事者でもないのに、以前の世代が行った加害の責任を担わなければならないのか? かりにも責任が生まれるとしたら、そこには信念や人格ではなく、もしかしたら正義でもなく、ルールとしての民主主義に対する深い理解がともなうべきではないだろうか、