anehako’s diary

ノート代わりの下手な駄文を書き連ねています。書き替えも頻りで、

松沢日記  37

松沢日記  37

都立職業訓練校、飯田橋にある高年齢者校のビル管理科に在籍する生徒たちが十数名、実際の実務を肌で感じ、私の勤める松沢病院の関連設備を見学したいというので、微力ながらも骨を折ることにした。最初、どちらも都立の施設だからと病院見学を容易に考えていたのだが、結局、あちこちの部署や手続きに振り回されて、例えば必要から、当訓練校の校長に病院長宛の生徒見学お願いの一筆を書いてもらうことになってしまった。

 こういう施設はマニュアルにない口頭の依頼だけでは門前払いで、前例のないことは書面や記録、しかもそうした異例に対してだれか責任のとる者がいなければ何も先に動かないようである。そしてあらかた責任の所在が明確になれば、うそのように事は動きだしたのである。

 精神科という病院の特殊性から、もちろん本館病棟には立ち入らないことにして、傍の電気設備や熱源機器が集中しているエネルギーセンターなどの別館だけに制限されたのは当然であるが、手続きの煩瑣を割り引いても、設備の同僚を含めて、たくさんの人の便宜をいただく結果になった。

 私の案内で見学した設備は、当院のターボ冷凍機、吸収式冷凍機、貫流ボイラー、炉筒煙管ボイラー、空冷チラー、特別高圧受電設備、非常用発電機、感染排水除害設備、加圧給水ポンプ、消火栓・スプリンクラーポンプ、受水槽、液酸タンク、免震層、防災センター監視盤、火災受信盤と多岐に渡った。約3時間の見学、生徒たちも喜んだだろう。

 私が訓練校で心掛けているのは、多くの失業者の生徒たちに、勉強よりも少しでも将来と生活の希望を持ってもらうことにある。そのためには、彼らがこれから足を踏み入れようとしている設備管理の実務の様子をできるだけ提供して、それぞれのイメージを早く描いてもらうことにある。これはなかなか教科書では教えてもらえない。

 具体的には、個人的な失敗談は私ごときの恥さらしではあるが特に効果がある。それは成功よりも失敗の方が事の本質をえぐり、記憶に薫灼されて、その職種の色合いや私自身の本質さえもよく現すことができると思われるからだ。どんな分野でも、大概は他人の成功には嫉妬と妬みが邪魔して本人の本意は伝わらず、逆に相手には失敗談がより身近に感じて、その話に興味を持ってもらうことができるのではないか。

 ある理論が破綻すると、それを乗り越えようともがきながら、他の視点を取り入れては形を変えた新たな理論に深化していくように、私自身の限界にまで到達するような失敗であれば、もしそこを凌げば、私自身の中から個人を超えた普遍的なもの、なんとも言えない客観的なものが帯びて、他人を説得することができるものと思われる。しかし現実にはそこまでは至らない、無数の中途な失敗があるだけだろうか。

 私が仕事上の失敗談をして、目を輝かせて聞いている中年のおじさんたちの真剣な顔を見るのが好きなのだ。それぞれの隠すことのできない人生経験を積んだ顔が、教科書を置いた小さな学生机の前で、子供のように不安と期待にその瞳を明滅させている。彼らの大切な人生の転換時に、私のような流れて来た者がたまたま袖触り合って、ほんの少しでも関わってしまったのかなと、その息苦しさと、首を締めつけるネクタイのようにいつまでも身につかない責任を思うこともある。

 彼らに特に強調するのは、それほど難しくはない設備関連の資格を幾つか頑張ってとれば、高齢者になっても就職の門は開かれている業界であるということである。しかも、本人が以前にどのような職種に就いていたかもそれほど問われない。あるいは機械相手の設備の業界といってもその業態は広く、普通のビル管理から最先端のエネルギー関連業務まである。誰でも、働き始めて設備の神様に好かれさえすれば、もしかしたら、だれも見たことのないような遠くまで行けるかもしれないのだ。

 ただ、その人智及ばざるものは我々の何に働き、我々の何を好くのか、そこの一番肝心なところが私にはわからないし、教えることなど元よりできないものである。おそらくは自分に妥協や屈託なく、深いところからの促しとそれぞれの直感に従った積極性であろうか、とも思われる。不思議なことに好々爺の善人よりも、時として努力する悪人が強い因果を起こすのはそのせいではないか、善悪とは我々の方便にすぎないような気もするのだが。