anehako’s diary

ノート代わりの下手な駄文を書き連ねています。書き替えも頻りで、

酔言 30

酔言 30

 多賀神社なるものが、実は日本全国至るところにあることを、ここ八王子に越して来る前はなにも知らなかった。というのは家から歩いてわずか数分そこそこのところに八王子多賀神社⛩️があり、樹々に囲まれた社(やしろ)の屋根がいつも暮色に閉ざされているのがベランダからも見えている。いつもは参拝者もまばらで、ただ近所の通り道に静かにたたずんでいるだけであった。

 もちろんこの辺りの古社であるという認識も私にはなかった。しかし、千年の時の重みはあなどれない。ひとたび境内に足を踏み入れると、社や樹々の間の鄙びた空間には、幾多の人々の念が通り過ぎて行き、その残香を境内のあらゆる物象のうちに、いまだに薫じているようである。

 昨年、四年ぶりに開催されたという八王子夏祭りには、この社からも神楽を乗せた立派な山車が出た。山車や神輿は駅前を伸びる甲州街道の特設広場に集まり、その各町会から曳きだされた数は計19台にのぼった。そして、三日間を通して85万の人手に高尾山の麓の夏が賑わった。長く住んだ世田谷でも、これほどの夏祭りには出会わなかった。

 大晦日、妻が観ている紅白歌合戦の辟易するテレビもやっと終わり、地を這うような近くの除夜の鐘がようやく聞こえ始めた頃、風に乗ったお神楽の笛や太鼓の音がベランダの窓を伝わって来た。こんな年の夜にといぶかると、居ても立っても居られず、防寒の身支度をして外に出てみることにした。

 民家の上の中天の月明かりが大晦日、年越しのさやけき夜にふさわしかった。角をまがると神社の鳥居の前にたくさんの人が列をなしている。その参拝客の列の後尾に並んで神妙にしていると、しばらくして新年に日付が変わった。突然、社の鎮まりが破れた。太鼓が鳴り、境内の明かりが一斉に灯った。まばゆいともしびの中の神楽殿が桑都千年の闇に現れ、舞台ではお獅子が舞い始めた。初詣の深夜、そんなことは初めての体験だった。

 ふと思い立ち、拝殿に上り一年の願を懸けることにした。帰りしなに柄にもなく神札所のおみくじを引いた。そこには『末の見込みがある、改めかえてすればその望事が叶い、また喜びの多い年』と書かれてあった。ひそみ居しふちにいる今、されば、改めかえるとはいったい何のことだろうか。また何の暗示なのだろうか。

 しかし、それは実は私自身にはつとにわかっていることでもあった。足もとを伸びる参道の冷えびえにもまして、そのおみくじを広げ読んだときに、しめやかな新年の境内がにわかに静寂に変わり、荒魂のようにかたく張りつめて、その不可知なものの気配に私自身の身震いがつづいた。

 多賀神社、創建は天慶元年(938年)。八王子市街地西方の鎮守として、「西の総社」と呼ばれているそうだ。境内は新撰組の解散地とも伝えきく。