anehako’s diary

ノート代わりの下手な駄文を書き連ねています。書き替えも頻りで、

酔言 26

酔言 26

まさに多摩のすそのは透きとおるような秋。このところの朝夕の冷え込みがきつい。さすがに昼と夜の寒暖差が都内とは違うように感じられる。ここ数日で高尾山近くにあるいちょうの並木が少しずつ黄ばみ始めた。それでも「いちょう祭り」の燃えるような樹木の黄金色を見るにはまだ一月ほどかかるそうだ。この甲州街道沿いのいちょう並木は、昭和2年大正天皇多摩陵造設の記念樹として、八王子市追分町から高尾駅までの約4kmにわたり甲州街道の両側に植樹されたものであるという。

 昔、信濃町日本青年館に勤めていた頃があった。近くには神宮外苑があり、そこのいちょう並木は見事だった。朝夕の通勤どきに、嫌でも目に入らざる負えなかった。それはあまりに見事で、圧倒するほどのその存在感を神宮外苑に振り撒いていたが、逆に完璧すぎて、私の目には嫌いな秋のステレオタイプの絵葉書のように映るほどだった。しかもこの辺りは観光客が多く、朝夕に辟易することもないではなかった。もっともそれは、いちょうには何の責任もないことではある。

 また相模原の米軍基地内に植っていたたくさんの銀杏も戦前からの大樹で、その美しさは目を見はり、恐ろしさを感じるほどであった。おそらく我々の住む世界ではない異空から、きらきらと輝く黄色の光が吹き流れてくる、まさに光の横溢だった。魂を抜かれ、眩暈の起きそうなそれはどこか狂気につながる黄色の粒が、真っ青な秋空の下に輝きながら、基地の地面からゆらゆらと天に燃え立つようであったが、広大なこの敷地に立ち入れない大多数の日本人には縁のないものでもあった。

 連想は冷え冷えとした秋の大気に触発される。冷気は私の細胞を内から目覚めさせ、深く眠っていた記憶の貯蔵の扉を開けるようだ。春先の暖かな風に吹かれたときも、私の細胞は萌えたつが、それでも秋の冷気にはかなわない。札幌出身ということが私の感覚の質を決定しているのだろう。街の遠近や奥ゆきが生き生きとして、自転車の風を切る音、朝のハンドルを握るざらざらとした手の感触、電車のホームに滑り込む騒音でさえも鋭く私の耳に聞こえてくる。街の立体感がいつもより深く感じる。

 感覚の裏付けのない思想は理屈に過ぎないという。そうすると、人それぞれな価値観も感覚の裏付けが必要なのだろうか? あるいは議論において理屈を伴わない価値観を単なる「評価」というが、その価値観を伴わない理屈はある人に言わせれば屁理屈というらしい。結局は屁理屈は一貫性を保てない。だからどんな抽象的な議論でも、その人の五感の感覚の担保、その感覚から出発することが重要になる。現実は幻のように移ろう。そしてその現実は脳が再生しているものであれば、私たちは何を信じていいのだろうか?英語でも言うではないか、「Seeing is believing、but feeling is the truth」。

 春と秋、日本とヨーロッパの違いはあるが、アムステルダムの季節の移り変わるときの、その街の繊細な光と影を思いだした。遠い昔の話ではある。しかし、刺激された感覚の記憶は時を隔てても色褪せることもなく、身体深くに印字されているそのクオリアが鮮やかによみがえってくる。しかも、そのクオリアはけして他人と一致することはできないものであろう。