anehako’s diary

ノート代わりの下手な駄文を書き連ねています。書き替えも頻りで、

酔言  12

酔言 12

 死者の世界とは何ゆえにここまで鎮まりかえっているのか、といぶかりながら、肩寄せ合い所狭しと立ち並ぶ、さながらコインロッカーのような納骨堂の中を、私は伏せ目がちに巫女のように歩いていた。開き戸のロッカーには数字ではなくそれぞれの家名がふってある。収納箱の奥に安置された白磁の壺はみな冷たいはずだ。魂のぬけ殻である骨の入る終極の容器と、知らない死者たちを仲良く隔てるうすい隔壁。

 私はこの壁を隔て無音の死者たちの気配を感じることができるか。しかし、それにはこちらの生活雑音を排して無垢になるしか道はないだろう。無垢には白刃にも通じる鋭利があり、それはおそらく幽明境を切り裂く手斧にもなる。あるいは同時に、昼も夜も窓下の、下草の葉ずれの音を聴き漏らさない努力がいりようか。神仙の世界と交わるには酒とはいわず、自らの能力の穏やかな高まりにより、心身の一段の浄化と努力がいるだろう。

 この奥屋には何千の遺骨が納められているはずだが、そのそれぞれの小さな収納箱からは少しの囁きも、陰々滅々も、彼らのため息すらも聴こえてこないのだ。雑音みたいな、たくさんの遺族たちの哀しみや記憶はそこからふつふつと私にも感じられるが、みたまごめした(世界にはそうではなく凡ゆる方法があると思われる) 死者たち自身の声は不思議にも何も聞こえてこない。彼らの気配すら見せず、遥かな時空の彼方に厚く秘められている。これは封印などではなく、死者のすべてが昇華された果ての静かな振る舞いなのだろうか、とも思う。

 それにしてもなぜなのだろう?こうして冷え冷えと鎮まりかえるには、この沈黙よりもさらに大きな力がいるはずだ。この納骨堂を統制している力はいったいなにか?畏怖や不可思議も、超常や面妖もなく、ただ鎮まりかえる極みに包まれて、私は振り返りもせずに長らく忘れかけていたものの中に浸されることになった。怖いことは何もない。

 そこは死者と生者の隔たりも、その間のわだかまりもない、物質と精神の区別もなく、それぞれへ、たまたま発現するところの以前の、混沌としたその幽かな世界に違いないと思われるものだった。