anehako’s diary

ノート代わりの下手な駄文を書き連ねています。書き替えも頻りで、

さよなら

水さしからの嚥下の力もなくなり、四肢の肉は削げ落ちていた。瞳の色もすっかり薄くなり、眼窩は深く落ち窪んでしまった、可哀そうな人よ。そして今朝、とうとう身罷ったのだ。気がつけば目を開けて、手は美しく胸の上に組んだままだった。息はもうすでに途絶えていた。

 人の死は厳粛である。悲惨な死のことは分からないが、畳の上、ベッドの上での病死、あるいは老衰で静かに死を迎えた者は特別なオーラを漂わせている。生命は尽き、生きている私たちとのその断絶が深ければ深いほど、近寄りがたく、生き残った者の襟を正す。

 紗のカーテンから差し込んでいくる冬の弱々しい光が、床に寝かされた死者の結んだ手の甲を温めていた。その人間が何をしてきたか、何をやれなかったか、どれだけ人の役にたったのか立たなかったのか、生前、幾人の友達がいたか、あるいは心を通わした人間がいたのか、一生懸命に生きたのか、そんなことにはまったく関係がない。それぞれの死そのものが毅然として我々から超越しているように見える。私たちはその死者の前では、自分自身の中へ押し黙るしかないのだ。

「千鳥さんの御霊(みたま)に、私はこうべを深くたれます。お約束通り、貴女の心から信じていた信仰にある御霊込めをして、また貴女がつね日頃語っていたように、先祖のそのまた源の大元霊にお送りいたしましょう。長い間、お疲れさまでした。今は妻の悲しみに寄り添うことだけが、私の役目です。貴女とは歳がずいぶんと離れていましたが、僭越ながら、この長いお付き合いの年月、まさに戦友だったような気持ちです。

 お互い我の強い似たもの同士でした。貴女との25年の同居は、私に結局、何をもたらしたのか、貴女を思い出しながら、これからゆっくりと考えることにいたします。今は現実があまりにも先走りして意味を持ち得ないのです。貴女の死そのものが今の私にはあまりにも漠然としているのです。25年の月日の長さは、それぐらいの猶予は許してくれるでしょうか、しばしの時間を頂くぐらいは。貴女の歳まで私はとても生きられそうにありません。ほんとうに強い生命力であり、そして大往生でした。

 自らが命を軽率に断つ輩が多い中、どんなに嫌なことがあっても、他人に絶望しても、おそらく独りぼっちに打ち捨てられたように感じられても、こうして95歳とほんの少し先まで生き続けました。それだけですばらしいことです。しっかりと自分の生きる役目、寿命を果たして身罷りました。これ以上、人として立派なことがあるでしょうか?

 千鳥さんありがとう、そしてさようなら。もう会えることもないでしょうが、娘である妻の悲しみを分ち合って、貴女のいなくなったこの世界で、私もとぼとぼと生きていくことにいたします。ほんとうに、ほんとうに、これでさようなら、ちーちゃん 」