anehako’s diary

ノート代わりの下手な駄文を書き連ねています。書き替えも頻りで、

餅つき大会

 杉並区阿佐ヶ谷にある、東京朝鮮第九初級学校の校庭で行われた餅つき大会に妻と参加する。並行して同じ校庭で、明日、明後日の錦糸町公園、西戸山公園の開催予定の年越し炊き出しの準備、豚汁と牛丼の具を調理した(公園で火は使えないのだという)。炊き出しスタッフ参加は、初経験であった。

 私は設営と大根、じゃがいもの皮剥きをさせてもらった。こんなに大量の皮剥きはアムステルダムの日本レストラン厨房以来であった。そういえば、毎日毎日、じゃがいも、にんじん、玉ねぎの皮剥きを嫌になるほどやらされていた当時を思い出しながら、最近はご無沙汰していた包丁をぎこちなく使っていた。

 あの頃と、私という人間の何が変わったのだろうか?もう30年以上も前のことである。何かの手作業を始めれば没頭していく私は今も変わらないが、行動によって自分自身を示そうとする欲求はずいぶんと無くなったような気もする。では、私のこの炊き出しの動機はいったい何か?

 食べることができず、この厳冬の中、困り果てた人たちが数日の間、温かい食事ができればそれでいいのではないか、そこには私の動機などどうでもいい些細で小さな事ではないか、とも言える。例えば立派な設計通りの常用車は、実に不思議なことに組立工がライン上で何を考えながら作業しても目的である完成車として流れ出てくるものであった。個々の動機や思考は車の完成とは直接繋がっていない。そして社会を動かすのはあくまで統一された意思の現れ、製品となった車であろうか。

 あるいはそんな短期間の、悪く言えば他人への「施し」など、本人にもこの社会の不平等な困窮にも、なんの根本的解決には至らないのではないか、社会や政治のシステムを変えない限り同じことが繰り返されるだけで、一時の気やすめではないか、恒常的でないものの効果はいかほどか、とも考えられる。

 しかし、一方でたまたま私がこうした機会に巡り合ったこと、その巡り合いを自分のこととして引き受けること、実体よりも関係性こそこの世の中に満ち溢れている本質であると考えるならば、これほど個人的に確かなこともないのではないか、とも思えてくる。

 食事の提供できる人数は、少なくとも200人、ひょっとして300人分はあるか。天気に恵まれ、眩しいほどの青空の下、在日の人たちが朗々と歌う声、踊る姿に感銘を受けた一日だった。さて、明日はどんなことが起こるのだろうか。

 それでもまた、ふと思う。今日の一日、妻の悲しみは少しは癒されただろうか。年の瀬に義母が死に、もう少しで二週間になろうとしている。義母の骨壺と笑顔の遺影が、彼女がいつもいた部屋の片隅から今もこちらを見つめているのだ。