病院日記 49
今、理由などなくとも好きでも嫌いでなくとも、たまたまこうしてたまゆらに向き合う現実の、この瞬間と対峙することでしか私の逃げ道はないのではないか。逃げ道? しかしいったい何処へ?そして何から逃げるというのだろうか?
そこはあくまでも巷へ、社会の歯車の一つに埋没し、日常という単調反復の地下茎へ。具体的な事実のうちから普遍的なものへの強靭な運動を。そして賃金労働者の只中へ。非正規労働者の苦悩へ。あらゆる不条理の中、瞬間と向き合うためには、それでもそうすることによって不連続に生滅する自己を一定に保つ為には、変化する事象に、時間の流れにそって様々な自己を現すしかないというテーゼを生きるために。
私の周りの風景は日々目まぐるしく変化していくが、時間との闘いだけが私の真の動機であり、結局は目的もなく、いや、先の不在への一切の視線をなくすために、すべてが何か得たいの知れないものからの逃走だけなのか、と思わずにはいられない。
サラリーマン稼業の中で、おそらく現在が一番忙しい。ここ都立病院は都会の中の小都市であり、人びとの沸騰する集積地でもある。そして、この現在こそは得たいの知れない錯覚の大海かもしれないのだ。私はその海をあたら逡巡し、際限もなく翻弄され、自分を偽りながら、世間という掟の島を周回しているにすぎないのだ。
病院にある感染病棟は結核やコロナ患者が収容されていたところだ。精神科専門の入院患者でももちろん結核やコロナになる。今は幸い患者はなく一般病棟として使っているが、またいつ元の使用になるかは分からない。
室内は空調で今も負圧にはなっているが、中に居れば何も感じることはない。ただ、平圧エリアとの境の扉を開閉すれば少し風切り音がするだけで、他の病棟と同じく快適である。負圧の構造は外部よりも圧力を幾らか低くして病棟内に浮遊している感染菌が外へ漏らさないためにある。唯一の出口は屋上に設置されている排風機が吸い上るダクトだけである。そこでは高性能フィルターで病棟内の空気を濾過してから大気に放出する仕組みになっている。
では、患者の生活排水はどうするか?大小便はもちろん、手洗いの水、唾液がついたコップの水、歯ブラシ、うがい、そうしたものに体液からの細菌が混入している可能性は高いだろう。だから、感染系病棟の排水は、他の病棟とは別系統の排水処理をしなければならない。汚染された排水をそのまま下水道に流すわけにはいかないのである。
もちろん、他にもそのまま外に流すわけにはいかない廃棄物、排水はある。検査が済んだ血液、手術室からの排水、解剖室の臓器や洗浄水、薬品、CT冷却水などからでる放射性物質・•。そしてすべてがその廃棄に対して細かで厳しい規制がかかっている。廃棄業者や廃棄場所も指定されていて勝手なことはできない。
感染病棟に入るときは重装備である。頭まですっぽり包む使い捨ての保護服、ゴム手袋、ゴーグル、手術用の高性能マスク、足袋、ビニール袋をもち、いそいそと修理の病室に入っていく。なにかこのまま路上に飛び出して、周りを驚かせたくもなるいでたちだ。中の患者は楽しそうにこちらを見ている。ふと横を振り向くと、こんもりとした排泄物が紙と一緒に便器の中ほどまで埋まっている。床に溢れた汚水が臭いを放っていた。
トイレ詰まりの依頼は日に何件かは必ず来る。もともと病院だから便器の数も多いし、認知症などの精神科の患者は、トイレに流す物への意識は少ないだろう。紙おむつ、歯ブラシ、コップなどはしょっちゅうだ。我々がラバーカップで詰まりを直すぐらいならいいが、専門の業者に来てもらって便器を床や壁から外したり、スコープ付きのワイヤーを排水管に通してやっと復旧する場合もある。
結核患者の排泄物を便器から取り出すときに、はたして心は清浄にしていられるだろうか? 仕事とはいえ、あるいは対菌対策はしているとはいえ、隣のベットに控えてこちらを見つめている涼しげな患者の視線を感じながら、おそらく大量の結核菌が含まれるている患者の便を金属バサミをうまく使って、硬ければ切りながら、柔らかければ掬うようにビニール袋に入れていく。目に見えないものは逆に恐怖心を煽るものだ。
設備のことをその後ろ姿で色々教えていただいた先輩がいた。彼がトイレ詰まりのとき、長靴とバケツ、ラバーカップなどの道具一式を抱えて、いつも楽しそうに現場に駆けつけるのを見ながら、私はなぜだろと不思議に思っていた。そしてその理由を聞いてみたのだ。彼曰く、人間の出すものだからそれほど汚いものじゃないのだ、と。詰まりと言っても普通は排泄してすぐのことだろうし、小便に至っては自分のものを飲む人もいると。
私はそんなことは考えたこともなかった。目から鱗が落ちた思いだった。しかし、結核患者やコロナ患者の場合はどうすればいいのか。マスクの中の呼吸は乱れ、時間は長く感じられる。時には嘔吐感が胸に広がる。心が清浄に穏やかにいられることは、どうしたらいいのだろうか。静かな場所で瞑想に勤しむ想像上の人たちの姿が突然浮かび、この目の前に広がる病棟の光景が幻想であることを納得させてもらえれば、どんなにか彼らの姿が美しく見えることだろうと思った。
世の中は矛盾に満ちている。社会を破壊し、革命によってあるいは武力をもって瓦礫の山をもいとわない輩が、自分の糞は野糞もできず、トイレに流すのをなんとも思わない。こっそり年金通帳をめくりながら、一方では現社会体制を激しく攻撃する。原発反対を叫びながらプライベートの節電はおかまいなし。日常茶飯事の理想の為のいさかいと、国家間の正義の人殺し。いや、それこそが人間であるからには、私が自分を差し置いて、他人を無意識の高みから非難することをどうしてできようか。
感染病棟から出た生活排水は一旦、地下の免震層に流れ落ちてタンクに溜められる。そのタンクからポンプで別棟の排水処理設備があるエネルギーセンターへ輸送され、そこの感染系原水タンクへ集められる。原水タンクからは隣のオゾンタンクに流れていき、オゾンと次亜塩素酸で約2時間殺菌する。殺菌が終わると外の下水道に放流するのである。
この2時間ほど、オゾンタンクとオゾン発生器の間で循環しながら殺菌されるのだが、循環する汚水の中にマスクとモップの紐が混じっていて、循環ポンプと配管に取り付けてあるストレーナーを詰まらせる、オゾンタンクの中にある水位センサーのフロートスイッチに絡みつく問題が起きていた。二つのポンプは修理不能で、新しいものを買ってとりつけたが、それはケーシングの中にオゾンを混入させる特殊ポンプで、2台合わせて300万円もの高額を請求されたしろ物であった。