anehako’s diary

ノート代わりの下手な駄文を書き連ねています。書き替えも頻りで、

アムステルダム 2 (23)

 私は日本人のまずもって他者ありきの傾向、生きることの意味のほとんどを、他者との関係性に汲み上げるそのあり方、あるいはそうした他者との比較対照をベースに据える日常の構築、またそこから無意識に発症してくる集団的な躁・鬱状態を、すぐ間近で見せられているような思いになっていた。彼らは日本に戻れば、めったに奮発しすることもないだろう高額なチップを手にとって、気前よく我々に手渡そうとした、いや、無理にでも握らせようとしたのだった。そんな嬉々として振舞う彼らをだれが止められようか。我々にそうするのが当然であり、昔からの友人のような顔をして、従業員の肩や背中を大げさに叩いて鼓舞するのだった。

 

 ひとしきり異郷や外国人の悪口を言っては気勢も上がり、満足顔で宿に帰って行くのを、私達は玄関口で度々見送った。見送りながら、私の取り残されて硬直した愛想笑いも、そのまま顔から剥がれて彼らと一緒について行けばいいのにと思った。そうして最後の一人の後ろ姿がアムステルダムの夜気に吸い込まれてしまうと、賑やかだった宴の余韻も急に萎んでしまった。

 

 誰もいなくなった食べ残しの皿がだらしなく散らかるフロアーは、嘘のように静かで空虚だった。その空虚の中に佇み、これが本当の現実だと思った。もう二度と再現することのない、それぞれの一回きりの出来事には実体はなく、空虚の上を数珠のように連なって、絡み合うその関係性だけが進んでいるように思えた。しかし、この空虚こそが、そうした変化の発現する揺籃の場所、私が引き受けて生きなきゃならない世界であると、耳元で聞き覚えのある声がまた小さく囁いた。私はやはりその声におののき、放心したように立ちすくむしかなかった。