anehako’s diary

ノート代わりの下手な駄文を書き連ねています。書き替えも頻りで、

アムステルダム 2 (11)

もちろんこの私が迫害されて、この街に流れ着いたわけではない。しかし、パリでアムステルダムに繋がることになる、手痛い災難に遭遇した一旅行者だった。共産党下だったシベリア鉄道を乗り継ぎフィンランドに入ると、そのまま気の向くままに南下してイタリアまで到達し、しばらくあてもなく歩き回ってから、人と車の溢れる渋滞のパリに戻った。

それでも貧乏旅行にパリの街は冷たかった。観光シーズンとも重なって、どこの裏道の安宿も泊まり客でいっぱいだった。いや、髭も剃らず汗くさい東洋人であるこの私の風采が警戒されたのかもしれない。なぜなら行く先々の宿のフロントで、頭のてっぺんからサンダル履きの足の爪先まで、舐めるように見つめられては、最後に決まり文句のノン!の宣告が下されたからだった。私はその度に、きっぱりとしてあからさまな、そのフランス人達の拒絶の仕方に驚き、ついにパリの都にはるばる来たことを実感し、 内心では心から感動していた。