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確かにその時、放物線を描いて加速落下する、鉄槌のもつ金属の従順さは私自身であった。また、黒々とした鉄槌の光沢は太陽に焼かれた私自身の皮膚であった。私は何者かの道具となり、軌道上の鉄槌や枕木、レールやバラストたちの、その秘めやかに息をする最深部に触れる場所にいた。
彼らとはただ「ある」ということの驚嘆に於いて、同じ地平に立っていた。なぜなら、それらは私を含めてすべてが共通した何かから発現しているものにすぎないように思われたからだ。
私たちには自らの力はなく、実在のために塑性された物同志であり、そこに「ある」ことだけが意味をなす地点にまで降りてきて、お互いが十分に接近し合っていた。そんな中で私は間違いなく幸福であった。そして幸福には言葉はいらなかった。だからかもしれない、むだに言葉を重ねる私は今、おそらく限りなく不幸なのだろう、と思う。
軌道工 26
軌道を空から焼くような日輪に向かって、高々と振り上げられた私の鉄槌が、その動きをぴたりと頭上へ静止すると、次の刹那、枕木とレールを繋ぎとめる金属の犬釘の真ん中に、重力の司る美しい放物線を描きながら、糸に引かれたように一気に打ち下ろされていきます。私たちはまるで感情のない機械仕掛けの人形のように軌道上にゆらゆらと動いて見えたでしょうが、その一振り一振りには地球の芯を打ちすえ、いや、刺しぬくほどの集中と気合いが入っていました。ですから我々には、小さな犬釘の頭を外すことなど滅多にないことでした。
私といえば、山麓の硬質な陽の光をいっぱいに背に受けて、炎天下の軌道上で真っさらになり、私の中にある生まれてこの方のすべてのわだかまりを、この肉体の一部となった鉄槌の一振りでうち裂いていくように思えました。透き通った、割れんばかりの金属同士の打ち当たるカーンという衝撃音が周囲に響き渡りました。それは軌道を取り囲む薄暗い杉林を閃光のように射ると、隠れていた山鳥が驚いて飛び出すほどでした。
そうしてこの私が軌道に鉄槌を打ち下ろせば下ろすほど、その瞬間、瞬間に、私と世界の厚い隔たりが少しずつ崩れていくのが分かりました。隔たりの根底を形づくっている私の世界への錯覚が一つ一つ洗い流されていくようで、しばらくすると不透明な世界の濁った雑音も、私の外からは何一つ聴こえてこなくなって行ったのです。それは私の中から、この濁世塵土に渦巻く、怒り、急ぎ、憂え、悲しみなどの余りにも人間的な懸濁物が、鉄槌の一振りごとに、私の血管からきれいに削げ落ちていく感覚でもありました。